【バッチフラワーレメディ】ができるまで
バッチフラワーレメディは 英国のエドワード・バッチ博士が一生を捧げて追い求めた末に発見したものです。
彼は医学の道を志し、二十歳でバーミンガム大学に入学しました。
医学生の頃からすでに同じ病気の症状に対して施した治療法でも、
患者によって反応が違い過ぎる事実に、理論的な知識の限界を感じていました。
彼はより多くの時間を患者を観察することに費やした結果、
特定の病気に特定の薬を投与するという治療法に、ますます疑問を深めていきます。
似たような性格の患者は、同じ薬に対して同様の効果を示すのですが
性格の違う患者には同じ効果が得られず別の治療法が必要であるという事実を見つけ出していきました。
バッチ博士は、西洋医学の欠陥があまりにも病気の症状だけに気を取られすぎ、
患者の性格を無視しているために重要な手がかりを見逃していることも確信しました。
そして、患者にとってより良い治療法を探し出すために免疫学に関心を寄せていきます。
細菌学者となった彼は腸内バクテリアからワクチンを作り出し、
そのワクチンを血液中に注入することによって慢性病を引き起こしている毒素を除去する治療方法を
作り上げました。
このワクチンは優れた治療の効果が確認され広く医療に応用されています。
1919年、彼はロンドン同種療法病院病理学者と細菌学者として勤務することになります。
ここでホメオパシーの創始者ハーネマンの著書 「オルガノン」 に巡り合います。
彼はハーネマンが100年も昔に科学機器を一切使わず
発見した慢性病と腸の毒素の密接な関係を指摘しているのを知りました。
野草などの自然界から得たものを主に治療薬として用いて個人の性格や個性に応じた治療を施し、
個々に適した薬を使うというハーネマンの医療哲学に深く共鳴します。
バッチ博士は、正統医療にホメオパシーの原則を取り入れた研究に着手し
患者の明らかに違う性格に対応する 「バッチの7大ノソード」 と命名された7つの経口ワクチンを
完成させます。
これらのワクチンは医学界に熱狂的に受け入れられています。
しかし、彼はこの成果に満足できずに、もっと純粋な薬を作りたいという思いがつのっていきました。
そしてバッチ博士は1930年の春、四十三歳の時ロンドンを離れ、
まったく違った方法で仕事を始めていくことを決意します。
彼はいままでの研究で用いてきた科学的な手法の代わりに、
自然界の植物や野草の花弁や花を手に取ったり、舌で触れたりすることで、
花のもつ効能を優れた直観力によって感じ取ることができるようになり、
何の副作用も苦痛もともなわない薬を見つけていきました。
直観力を用いて花の発する振動波を感じ取り、感情を癒す19種類のフラワーレメディを完成させました。
彼が生涯で見つけた38種類のレメディのうち残りの19種類は最初のやり方とは全く違い、
彼にとってあまりにも過酷な試練となります。
それぞれのレメディを見つけ出す数日前から、彼はそのレメディ特有の激しい感情に襲われ、
必要な植物を見つけ出すことを急かされるようになりました。
あるときは正気を保っていられないほどの激痛に苛まれ、座っていることもできないほどでした。
あるときは足が腫れ上がり、髪の毛は抜け落ち、目も見えなくなることもありました。
これらの症状は、新しいレメディを見つけ出すまで続き、
そのレメディを服用すると同時に嘘のように消えてなくなりました。
こうして彼は1935年の3月から半年の間に、
19種類の心身の苦痛を身をもって体験しながら残りのレメディを完成させていきます。
しかし、レメディを見つけ出す過程で味わった苦痛はあまりにも大きく、
最初のレメディと合わせて38種類のレメディを見つけ終わった翌年、
彼は人生の幕を閉じるということになります。
エドワード・バッチ博士の50年という短い生涯は、
病気の原因となる感情を癒す簡単な方法バッチフラワーレメディを発見するために
捧げられた一生であったといえるでしょう。